水木しげるさんとの出会い
*初代編集長の“ナウい”足跡Vol.3*

鳥取県の知名度アップを目指し、34年前に誕生した『鳥取now』(現『とっとりNOW』)。編集経験ゼロの初代編集長の奮闘ぶりと、各企画、取材、撮影などにまつわる奇想天外、悲喜こもごもの“ナウい”エピソード で足跡をたどる。

30号特集
特集「妖怪たちの集うまち」扉面と水木さんの寄稿文(『鳥取now』30号)

時は1993年、境港(さかいみなと)市が地域活性化の起爆剤にと、同市出身の漫画家・水木しげるさんを起用、駅前通りを「水木しげるロード」と名付け、妖怪をモチーフにさまざまな仕掛けを施した。

これは、当時、全国的にも珍しい取り組みだったことで、各マスメディアでも大々的に取り上げられた。歩道に設置された妖怪ブロンズ像も、当初23体だったが、どんどん増え続け、(2022年現在で177体)さびれた商店街は、またたく間に人気の観光スポットへと成長したのだ。

3年後の96年、『鳥取now』30号で、その特集を組むことに。執筆者は、水木さんと同郷のノンフィクション作家・足立(のり)(ゆき)さん。『妖怪と歩く 評伝・水木しげる』(1994年、文藝春秋)などの著書もあり、適任だ。

いよいよ足立さんと共に東京都調布市の水木事務所へ。その玄関ドアを開けて、ビックリ!なんとそこには、妖怪「油すまし」が!しかも等身大!?…予想外の出迎えに思わず吹き出し、初対面の緊張の糸が一気にほぐれた。

取材のなかで、心に残ったエピソードがある。水木さんは小学生の頃、早起きが苦手で遅刻の常習犯だった。なのに、先生は怒らなかったという。「遅れるのは公認だったからねえ。絵が得意だったので、それで帳消しだったのかなあ」。のんびりとした口調で懐かしそうに語る水木さん。

いい時代、いい環境の中で伸び伸びと育ったせいか。とにかく温かく大らかな方だった。NOWへの寄稿も快く承諾して下さり、「会えてよかった」と温かい気持ちに包まれながら帰路についた。

【人間は偶然の積み重ねみたいなもので生きているようにみえるものだが、私は最近になって、なんの意味もない偶然というものは無いのではないかとひそかに思っている】
(水木さんの寄稿文から一部抜粋)

水木さんの一文を、私は今もかみしめている。

【初代編集長M・K】

NOW30号表紙
『鳥取now』30号(1996年6月発行)表紙