小津安二郎の〝視線〟
小津安二郎の映画くらいは見ておかないと美大生として格好がつかない。思えば小津映画に最初に触れた動機は、そんな不純なものだった。禁欲的な画面構成、単調で地味に思える脚本。当時の若い自分にとって、実際退屈に感じる部分も多かったが、なぜか妙に〝色っぽい〟ことが、のどに引っかかった小骨のように気になった。それは性的肉体のいやらしさではなく、作品の中に満ちている空気、気配のようなもの。その正体が気になって、機会があるごとに見ているうち、気付けばしみじみと『東京物語』で泣けてしまうような年齢になっていた。
本書は小津安二郎が映画のために徹底して選び抜いた衣装、セット、小物、役者などを通して、巨匠とその作品を深く考察しようと試みる一冊だ。
何度も作品に登場した常連小道具のひとつに、鳥取民藝の木製電気スタンドがある。『お茶漬の味』や『東京暮色』を彩った逸品だが、これは、監督のお気に入りの私物だったのだという。おそらくは当時、鳥取市の「たくみ工芸店」(※1)の支店として東京に出店していた「銀座たくみ」でこれを求めたのだろう。伝統とモダンが融合したさりげない存在感は、映画に見事にマッチしている。
私が感じた〝色っぽさ〟は、監督がセットや小物や役者を見つめた、その偏執狂的ともいえる視線の気配だったのではないか。本書を読んで、半ば確信に近く、そう思うようになった。小津映画の代名詞ともいえる、下から見上げる「ローアングル」について、俳優・笠智衆が後年語っている。「なんやら心の中を見透かされてる気がして、どうも落ち着かなかったのを憶えています」(※2)。いち視聴者が感じるほどの強い視線。身をもって体験した俳優たちの心中、推して知るべし。
※1…昭和7年創業。鳥取市の医師・吉田璋也が手掛けた日本初の民藝専門店
※2…出典:『大船日記ー小津安二郎先生の思い出』(扶桑社)