ラバウル湾を巡る船の上で感慨にふける水木さん
(1994年7月、パプアニューギニアのラバウル)
「絵の道」を照らしてくれた山下清
ラバウル湾を巡る船の上で感慨にふける水木さん
(1994年7月、パプアニューギニアのラバウル)
水木さんは勉強が苦手だった。兄と弟は中学校に進学したのに、水木さんのみが高等小学校卒。それでもくじけなかったのは、「小学校時代から絵がうまかった」から、とされる。
確かにそうだ。高等小学校1年の時に個展を開き、「少年天才画家あらわる」と新聞の地方版に載る。ほぼ同時期に模範例があった。水木さんと同年同月生まれの少年、山下清が見事な貼絵を描き、全国的なニュースとなったのだ。
自伝の『のんのんばあとオレ』によると、水木さんの母は「お前によく似た子が新聞に出とる」、父は「茂(水木さん)も絵で有名になるかもしれんな」と言った。それ以来水木さんは、「兄弟のような親しみ」を感じ、「山下清という名は脳裏にきざみこまれた」と記している。
戦後、水木さんが紙芝居や貸本業界で悪戦苦闘していた頃、山下清はすでに「裸の大将」「日本のゴッホ」と呼ばれる著名人に。彼を「偉大な先輩」と感じ、他人ごととは思えなかったという。
水木さんは常々、「私の人生の80%はゲーテ」と語っていたが、ゲーテを知る前、少年時代から「ライバルであり絵の先駆者」と意識していたのは、山下清だったのでは?自伝を読み返し、そんな思いがした。
※参考:水木しげる『のんのんばあとオレ』ちくま文庫
妖怪ファイル>No.14
化け狸
全国各地に残る言い伝え
「狐狸妖怪」 という言葉があるように、昔からキツネやタヌキは人間を化かす動物の筆頭、妖怪の仲間と見なされてきた。狡猾なキツネは好んで女性に化け、間の抜けたタヌキは男性専門で、キツネと違い集団行動によって騒動を起こすことが多い。
キツネがいないとされた四国では、タヌキ同士の戦争の「阿波狸合戦」(徳島県)や、タヌキが松山藩のお家騒動に関わる「伊予八百八狸」(愛媛県)など、土地の名物タヌキが活躍する伝説がたくさんある。
タヌキは器物にも変身する。「文福茶釜」(群馬県)は、屑屋が和尚からもらった茶釜がタヌキで、芸を仕込んで財をなしたという話だ。また、腹鼓を打って狸囃子などの怪音を発することも。千葉県の證誠寺では、庭で踊るタヌキと和尚が腹鼓合戦をして和尚が勝った話が伝わる。この伝説が後に童謡『しょうじょうじのたぬきばやし』(野口雨情作詞、中山晋平作曲)になった。
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ノンフィション作家。境港市生まれ。同郷の先輩である水木しげるさんに約2年間密着取材し、『妖怪と歩く ドキュメント水木しげる』(1994年新潮文庫)※を刊行。主書に『日本海のイカ』『北里大学病院24時』『血脈の日本古代史』など。
※今井書店より復刻版発売中
漫画家・イラストレーター。石川県生まれ、鳥取県育ち。
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