日南町(にちなんちょう)の道の駅、にちなん日(ひ)野川(のがわ)の郷(さと)「レストランほっとす」は、地元の新鮮な食材を使った料理がそろっています。特に、町内を流れる日野川の支流に設けられた、鳥取県最大の多目的ダム「菅沢 […]
自分には絶対に描けない絵だった。 イラストレーター安西(あんざい)水(みず)丸(まる)の、どこにも力が入っていないようでいて、不思議な緊張感をたたえた絵が、高校生の頃から好きだった。 無礼を承知で「水丸さん」とお呼び […]
水木さんは勉強が苦手だった。兄と弟は中学校に進学したのに、水木さんのみが高等小学校卒。それでもくじけなかったのは、「小学校時代から絵がうまかった」から、とされる。 確かにそうだ。高等小学校1年の時に個展を開き、「少年 […]
私の偏った漫画遍歴はあだち充から始まった。 ある日、年の離れた親戚のお姉さんが我が家に持ち込んだ漫画本の山。あだち作品を網羅していたそれが、いたいけな私を『陽あたり良好!』や『みゆき』や『ナイン』を愛読するややシブ少女に […]
鳥取和牛をおいしく味わえるメニューが揃う「たくみ割烹店」。ランチ限定で「鳥取和牛オレイン55(以下、オレイン55)」の入ったカレーが食べられるのを知っていますか?オレイン55とは、牛肉の口溶けの良さに関係するといわれるオ […]
水木さんは最晩年に、『ゲゲゲのゲーテ』という本を刊行した。その中でご本人が言っている。「水木サンの80%はゲーテ的な生き方です」 ドイツの文豪ゲーテに出会ったのは10代の末期。徴兵を前に哲学書などを読み漁っていた頃、 […]
水木さんは子どもの頃から、自他ともに認める「ズイボ(食いしん坊)」だった。長じても、おやつにまんじゅうを何個食べたとか、昼食に生牡蠣(がき)を何人前平らげたとか…食に関しての話題は日々、尽きなかった。 ところが、私も […]
水木さん特有の人物評価の基準に、「奇人・変人」ぶりというのがある。誰かと出会って、その人を評価する時の第一声が、「あの人、変わってます!」。「常識」をはみ出しているか否かが、とても重要なポイントらしい。 有名どころで […]
ラバウル(※1)のトライ族の村長トペトロが亡くなって3年後の1994年、水木さんは彼の葬儀のため、現地に渡る。その際、私も同行した。 トペトロは水木さんの命の恩人。戦時中、食物を運んでくれた現地の少年だった。だが到着 […]
水木さんは、ある取材で述べている(※1)。 「女性が元気なのは幸せな時代」「過去の誤りは、女性の意見が通らなかったから」 戦争中にラバウル(※2)で現地人の母系制社会を観察して、そう思ったのである。「戦争は男がする。 […]
水木さんのモットーは〝楽をして、のんびり暮らすこと〟。「あくせく働き、アタフタ死ぬのはつまらない」とよく言っていた。 ところが現実の水木さんは、日曜日も休まないほどの働きバチ。貧乏時代は「餓死しない」ため、有名になっ […]
足かけ3年の水木さんの密着取材中に、水木さんから「私、怒ってます!」と聞いたのは一度だけだ。 1993年、作家の中野孝次さんの『清貧の思想』(草思社)がベストセラーになった年のこと。書店でたくさん平積みになっていた。 […]