鬼太郎には実在のモデルがいた。水木さんのおい・Sさんである。紙芝居作家だった1955年頃、兵庫県西宮市で同じ家に住んでいた。私は水木さんの取材時、Sさんに会ったことがあり、当時39歳、細面で自動車会社に勤める会社員だっ […]
水木ワールドで、たくさんのキャラクターを作りだした水木さん。「一番好きなキャラクターは?」と問われると、必ず「ねずみ男です」と答える。 ねずみ男は非常に特異なキャラクターだ。妖怪と人間の間に生まれた半妖怪。僧衣(そう […]
水木さんは勉強が苦手だった。兄と弟は中学校に進学したのに、水木さんのみが高等小学校卒。それでもくじけなかったのは、「小学校時代から絵がうまかった」から、とされる。 確かにそうだ。高等小学校1年の時に個展を開き、「少年 […]
水木さんは最晩年に、『ゲゲゲのゲーテ』という本を刊行した。その中でご本人が言っている。「水木サンの80%はゲーテ的な生き方です」 ドイツの文豪ゲーテに出会ったのは10代の末期。徴兵を前に哲学書などを読み漁っていた頃、 […]
水木さんは子どもの頃から、自他ともに認める「ズイボ(食いしん坊)」だった。長じても、おやつにまんじゅうを何個食べたとか、昼食に生牡蠣(がき)を何人前平らげたとか…食に関しての話題は日々、尽きなかった。 ところが、私も […]
水木さん特有の人物評価の基準に、「奇人・変人」ぶりというのがある。誰かと出会って、その人を評価する時の第一声が、「あの人、変わってます!」。「常識」をはみ出しているか否かが、とても重要なポイントらしい。 有名どころで […]
ラバウル(※1)のトライ族の村長トペトロが亡くなって3年後の1994年、水木さんは彼の葬儀のため、現地に渡る。その際、私も同行した。 トペトロは水木さんの命の恩人。戦時中、食物を運んでくれた現地の少年だった。だが到着 […]
水木さんは、ある取材で述べている(※1)。 「女性が元気なのは幸せな時代」「過去の誤りは、女性の意見が通らなかったから」 戦争中にラバウル(※2)で現地人の母系制社会を観察して、そう思ったのである。「戦争は男がする。 […]
水木さんのモットーは〝楽をして、のんびり暮らすこと〟。「あくせく働き、アタフタ死ぬのはつまらない」とよく言っていた。 ところが現実の水木さんは、日曜日も休まないほどの働きバチ。貧乏時代は「餓死しない」ため、有名になっ […]
足かけ3年の水木さんの密着取材中に、水木さんから「私、怒ってます!」と聞いたのは一度だけだ。 1993年、作家の中野孝次さんの『清貧の思想』(草思社)がベストセラーになった年のこと。書店でたくさん平積みになっていた。 […]
1993年6月、水木さんと共に約10間の日程でアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の居留地巡りに出かけた際のこと。行く先々でなぜか同じ質問を受ける。 「あの人、イノウエ上院議員?」「ダニエル・イノウエさんなの?」 […]
水木さんの本名は武(む)良(ら)茂。2歳ずつ違う3兄弟の次男坊である。 長く水木プロダクションのマネージャーを務めた弟の幸夫(ゆきお)さんは「武良三滴」の俳号を持つ俳人で、次の句がある。 『鴬(うぐいす)餅 四時の抹 […]